こちらのページでは、英国紅茶にまつわるお話から、最新の英国&ヨーロッパのスィーツ&グルメ、 アンティーク情報など身近なお話をテーマにしながらご紹介して参ります。 どうぞお散歩気分でご覧下さい

No.017 : ロイヤルウースターのアーティスト No.018 :ネザーランドのシルバーマーク
No.015 : キングスパターン No.016 :ビスケットウォーマー
No.013 : ダムウエイター No.014 :ケーキスタンド
No.011 : ジャポニズムブームのペーパーナイフ No.012 :コープランド&スポード
No.009 : フルーツサーヴィング・セット No.010 :シュガーキャスター&コンディメントセット
No.007 : ジョージアン・ティーポット No.008 :バンブーハンドル・ティーセット
No.005 : イングリッシュブレックファースト〜トーストラック No.006 : イングリッシュブレックファースト〜ブレッドバスケット
No.003 : 英国紅茶とティーケトル No.004 : 英国カーネリアン・デザートカトラリー
No.00 1: 英国のティーハウス No.002 : 英国紅茶とマナーハウス
   

No.018 ネザーランドのシルバーマーク

NETHERLANDSの銀器〜現在のオランダでは銀の刻印をどのように表示されていたのでしょう。歴史的にはイギリスよりも早く銀の採掘&輸入を始めていた国でもあり、古くは16世紀から17世紀までの銀器の純度は1000分の875を基準として作られていました。さらに1807年〜1810年にかけては934銀と833銀が主流となります。

その頃のヨーロッパ各地は戦乱に巻き込まれ、支配する領土から王制までもがみな〜崩れ始める頃、オランダも諸外国と同じように、フランスの絶対王制が崩れフランス革命が勃発した1789年、その後ナポレポン・ボナパルトがナポレオン一世として、ヨーロッパ各地を制覇していくなか、オランダも諸外国同様ナポレオンに征服されます。そこで、今までの純度がフランスと同じ規定に変えられ、950銀と800銀になります。つまりナポレオンに制覇されると同時に銀の純度表示さえもフランス式に統一され、フレンチシルバーに表示されていますファーストとセカンドの表示に変えられました。

しかしナポレオン一世により、ヨーロッパ大陸すべてを制覇し動乱が納まるかのように思えましたが、ナポレオン1世がロシア軍に敗れ撤退します。それによりオランダも自国の銀の表示を復活し、934銀と833銀を表示するようになります。そのマークにはライオンが立ちがる姿を刻印し、それぞれの年代別において刻印されたデートレターが1814年から1962年まで記載されています。

さらに1953年以降には大きなサイズの銀器には925銀&835銀で作られ、小さなサイズの銀器は835銀と800銀で作られるという、銀器の大きさによって、それぞれがファースト&セカンドマークもライオンの立ち姿の下にゴチックのTとUを表示されています。

左&中央画像のネオクラシカルスタイルのグラスのコンポートには1814年から1953年に使われた833銀の刻印が記され、メーカーズマークも記されています。さらに右画像のケーキトングの刻印はフォークの刃先の中心部分にライオンの立ち上がる姿の1953年以降の835銀の刻印が記されています。

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No.017 ロイヤルウースターのアーティスト

イギリスの陶磁器会社のひとつロイヤルウースターは1751年にスタートしてから、次々にグレンジャー、ハードレイ、ロックを合併し成長してきた工房です。それぞれの工房において製造してきたパターン図・デザインや絵付け師さえも多数抱え込みながら20世紀初頭のロイヤルウースターの基盤になっていきました。

その吸収合併により多くの職人、しかも陶磁器の絵付け師という枠組みでは抑えられない芸術的センスを持つアーチスト達を抱えた膨大な職人の集団になっていきます。もちろん陶磁器の基本である造形から型抜き職人や金彩師から絵付け師まで、かなりの人数であった事を当時の記録に残されています。しかも親子、夫婦、兄弟でウースターに働くという愛社精神とも言える職人一族が多くいたことも記録されています。

ウースターの1900年〜20年代を代表とする絵付け師には祖父から父さらに子供、孫へと代々ウースターに貢献したスティントン家が上げられます。その中にはウースターに限らず陶磁器絵付け師の中でも優れた風景画家のジョンJr、その彼の次男ハリーも画家として名を残しています。そして同時代に活躍したウースターの天才絵付け師ハリー・ディヴィスです。そのハリー・ディヴィスも祖父の代からウースターの職人として働く家柄でした。まさに1920年代のウースター社には才能に恵まれた職人が数多く集まり幸運な黄金期を迎えることになったのです。

1898年、祖父のジョサイア・ディヴィスの勧めによりハリー・ディヴィスが工房に入ります。そして祖父が見抜いた以上の多くの才能を発揮していきます。その中でも自然的な風景やハイランド地方の羊、魚を描くことを得意としました。その後ハリーは男性絵付け師の中のForeman painterとなり、後輩の育成に努めます。当時ハリーの許からは数々のぺインターが育っていきました。またその研修方法が現代に伝えられるウースターの技術の伝承へつながれています。

1918年、ウースターに入ったEdwardTownsendはいかなる絵付けにも優れている才能の持ち主でしたが、特にフルーツを得意とし絵付け師として才能を発揮します。さらにハリー・ディヴィスのアシスタントとして活躍し、ハリー引退後Foreman painterを引き継ぎます。そこで1920年代ウースターの黄金期と讃えられる時代〜ウースターに集まった優秀なぺインター達が集合体となり、造形師・金彩師が一緒となりペインティッドフルーツを創り出していきます。それは個人で仕上げる工程ではなく、社名上げての製造方法でした。しかも陶磁器が仕上がるまでの間、一人ひとりがプロ・フェッショナルの集合体なのです。そのお手本を基礎とした工程が今も残され続けていることは、まさしくロイヤルウースターの歴史の技とも言える所以なのです。

そしてウースターの代表的な作品としてペインテッドフルーツが完成します。現代でもウースター最高の工芸品として多くのファンを持ち得ていますが、当時の人々にっとっても〜もちろんのこと。ハンドペイントによる絵付けを焼成6回以上繰り返し特殊技法で施す22金を何時間もかけて研磨し、輝きを出す最高クラスのギルダーが行う工程により成し得た作品です。

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No.016 ビスケットウォーマー

英国のオールドシェフィールドプレートをさらに技術開発させたエレクトロプレート技法は英国銀器の新たな発展へと向かい、世界中へと技術の波及が進みます。当時、その驚くべき技術は今まで不可能とされた事をも可能にする・・・そんな新発明だったのです。もちろんスターリングシルバーの揺るがない技術をも活かし、さらに構造上&耐久性等の面に於いても有効活用されながら普及していきます。

その中のひとつ、ビスケットウォーマーは器を支える部分と開閉動作のバネ構造など、いわゆるマジック的な要素を含む器として人々を驚かせました。しかも有力な工房が作りあげたビスケットウォーマーにはスターリングシルバー同様に評価基準を刻印されている事から、産地&年代&月日&工房名をひとつのマークとしてまとめたレジストリーマークが表示され、大量生産される器とは取扱いが異なりました。このレジストリーマークは英国の法律にて定められ、ある期間のみ使用された評価方法で、陶磁器等にも残されている物を見かけます。 さらに英国銀器の有力な工房であれば尚更のこと、必ずやメーカー名の刻印を残しています。特にFentonBrothers、JamesDixon&Sons、CooperBrothers等が仕上げたビスケットウォーマーは実に丁寧な細工と装飾方法を残しています。

上記に紹介しておりますビスケットウォーマーをご覧いただきますと、一言ビスケットウォーマーと言えども様々なデザインが見られます。シェル型・バック型・シェル&バック混合型・さらに変形のバック型など、枠組み構造の飾り部分にもそれぞれの特徴溢れた美しいラインで仕上げられています。さらにブック型やギフトボックス型のビスケットウォーマーもございましたので、デザイン&オーダー主の要望により作られたと思います。

さらに、ヴィクトリア時代にはビスケットウォーマーをスターリングシルバーでは作ることが出来ないという 事でしたが、1900年以降になり、スターリングシルバーで作られたビスケットウォーマーも見つけることが出来ました。技術革新の中、不可能であった技術も近代の技術では可能である事を付け加えさせて頂きます。また電気メッキがどんどん普及されるようになりますとヴィクトリアン以降、簡単に仕上げられるビスケットウォーマーも多々見かけますので、ご購入される時にはコンディション&状態等を十分見極めながらお選び下さい。

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No.015 キングスパターン

現代さりげなく使っている日常のテーブルカトラリー、そのカトラリーが今から200年以上も前にスタイルが完成され、しかも現代の英国スターリングシルバー工房においても作られ続けているパターンがたくさんございます。こちらのキングスパターンもそのひとつです。1770年頃、英国で最初に作られたカトラリーとしてオールドイングリッシュパターン&オールドフィドルスレッドパターンがほぼ完成しました。その後にフィドルスレッドパターンにシェル紋様を付けたフィドル&シェルパターン、アワグラス、さらに装飾面において最もゴージャスなキングスパターン、そしてキングスをもっと優美にと考えらたクィーンズパターンです。

まるで永遠の定番アイテム?とも言えるような、しかも現代においても、これ以上の完成美はない?と感じさせる洗練されたパターンです。 そしてこちらに並ぶキングスパターンはロンドン1840年頃に作られ、160年以上の時を経た今でもなお、蘇るかのように輝くスターリングシルバーのテーブルカトラリーです。

ただ、たいへん残念ながらテーブルナイフでアンティークはとても少なくほとんど現存しておりません。と申しますのもミートを切り分けるテーブルナイフはブレード部分がボロボロになり〜ハンドルのみが残っているならば・・・それだけでも素晴らしい事ですが〜
そこで、足りないカトラリーは現代のスターリングシルバーで組み合わせられることをおススメします。このような時にハンドルのモチーフパターンが今も作られ、必要な数を補充出来るなんて・・・なんて素晴らしいことでしょう。大量消費社会の現代では、ついつい忘れがちであった物の大切さを改めて感じさせる英国のスターリングシルバー・テーブルカトラリーです。

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No.014 ケーキスタンド

アフタヌーンティーと申しますと、必ずや3段もしくは2段のケーキスタンドを使われる光景を見かけます。ヴィクトリア時代に始まったお邸のティーサロンにお招きするアフタヌーンティータイムは?・・・と申しますと、ゲストの方々のそれぞれの好みや、集まる人数などを考え、サロンの壁側にサイドテーブルもしくはサロンテーブルがセットされます。その上にティーセレモニーに紹介する何種類かの紅茶に似合った簡単なお菓子&サンドイッチ&スコーン&フルーツケーキなどをそれぞれケーキバスケット・B&Bプレート・コンポート・サンドイッチトレイなどに盛り付けながら、ティーセレモニーを楽しんでいました。しかし、自宅以外のティーサロンでは、サーヴィングをひとまとめにするため、数種類のフードを盛り付けたケーキスタンドをティーテーブルに置き、サービスの簡略化をはかりました。それがケーキスタンドの所以です。

当時もお邸で迎える主人の傍らには紅茶を注ぎれる為のティーサービスセット&ティーケトル&ティーキャディセットが置かれ、主人自らお招きしたゲストの方々へ紅茶をサービスしました。さらにお砂糖は?ミルクはどのくらい?と好みを伺いながら、会話を楽しんだとされます。もちろん、主人一人ではお湯の管理からお菓子の補充など、なかなか手が回りませんので、それを補う執事やメイドが忙しく動き回っていたものです。

サービスには人が何かをお願いしたい時に、さり気なく気遣う心得が必要です。その手順をひとまとめにした効率の良いサービスにうってつけのアイテムが、こちらに紹介しておりますケーキスタンドです。もちろん、ロンドンのホテルティールームにおきましても、小さなティーテーブルに人数分のお決まりスィーツを盛り付け運んできます。一番上には?中央には?一番下にはサンドイッチという約束事も順番もございません。何よりもサンドイッチはブレッドが乾かぬようにと、先に召し上がって頂くことを考慮に入れた置き方であったり、スコーンは温かい内に頂いてほしいというシェフの心遣いがあるならば、カバーをかけたり、ナプキンに包まれて一番上の段へ。もしくは最初にまとめて運ばれず、サンドイッチにご満足いただいたところで別のプレートに盛り付けて運ぶなどなど、それぞれのホテルのティールームにて独自のサービスを打ち出しています。そこには、何よりもお客様が満足いただけるようにというプロの気配りが感じられます。もちろん紅茶を淹れたティーポットの味の状態にも気を配り、ウォーターポットをほどほどのタイミングで注ぎ入れてくれたり、もしくはスィーツへとプレートを交換するタイミングをはかり、新しい茶葉に入れ替えてもくれます。もちろん、ティーカップに紅茶を注ぎ入れるタイミングをはかり、さーーっとティーポットを持ち上げ熱々の紅茶をサービスされます。そしてティータイムのひと時、十分楽しんでいただける為に、心地よい音色の音楽を奏でるサービスをされているところも多いです。

それは日本に伝わる茶道の精神にも似た、実に心地よい時間を味わうことの出来る空間です。あくまでも決まり事などにこだわらず、本来のお茶の味わいを楽しむひと時&生活の中でのエチケットのようです。そしてアンティーク銀器のお茶道具は現代の私達の生活に合わせたり、当時の使い方を再現したり・・お茶の世界を十二分に楽しめる銀器がたくさんございます。そんな銀器に似合ったお菓子とのコラボレーションを楽しまれながら、ティータイムを演出されてはいかがでしょうか。

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No.013 ダムウエイター

物言わぬ執事の役目を果たしてくれる家具、マホガニー素材のダムウエイター。スタイルも円形テーブルを二重三重に重ねたタイプからスクエアを二重に重ねたタイプ、この他にもサイドテーブル程の大きさで三段になったタイプなどを見かけます。ただ、どんなデザインであっても用途は執事のようにお茶の用意からお食事の用意に必要な諸々を置き、サービスのタイミングをはかりながらテーブルに移すなど、様々な使い方が出来ることです。その多くをヴィクトリア時代に見かけますが、それはお客様を招いた時など、ご主人の座る席の傍に置き、ゲストの方々にスムーズにサービスをしながら〜エレガントにもてなすキメ細やかな気持ち・・から作られたのでは?と思います。何よりも解説には「とても重宝な家具」。 また、執事の役目から「コレクションボードとしての役割も果たすことが出来、動にも静にも役立つ家具です。

お茶の歴史は紀元前2700年頃、中国の雲南省あたりから始まると言われます。さらにお茶の文化はやがてモンゴル、日本、ロシア、北アフリカに広がり、ヨーロッパ伝来は16世紀後半の大航海時代を経て、東インド会社のオランダ商人の手により1607年にマカオから中国緑茶、1611年には長崎平戸から日本茶が運び出されたのが最初ではないか。。。と言われています。ちなみに英国に伝えられたのは1662年、ポルトガル王女の輿入れの時。そして19世紀、お茶の習慣は英国上流社会で洗練を極め、やがてアフタヌーンティーという公式?行事に定着していきます。

そのお茶文化とともに伝わったお茶道具。そしてお茶道具専用の家具。つまりお茶道具を置くための家具が考案され、それぞれ中国的なシノワズリ装飾が施された家具を多く見られます。その中には日本の蒔絵細工で飾られたお茶道具用の家具も多く残されています。 それも上等なマホガニー素材やローズウッドを用いた家具ばかりです。ひとつひとつティーケケトル用のテーブル・ティーカップ&諸々の道具を取り揃えたテーブル・そして茶葉のためのティーキャディ用のテーブルという風に・・・お茶道具のための専用の家具が作られました。

ダムウエイターはそのお茶道具それぞれに付随した家具を総まとめ?したスペシャルティーアドバイザー役をも〜担う家具と言っても良いくらい・・・現代生活にも役立つ家具です。

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No.012 コープランド&スポード

イギリスの陶磁器発展に貢献したジョサイア・スポードが1770年スポード窯を設立しました。時代もイギリスの陶磁器技術がどんどん進歩し、優れた作品を残した頃です。そして、その息子の代へと引き継がれた後の1806年には、当時まだ皇太子であったのちのジョージ四世に、ロイヤル・ワラントを認定されます。つまり英国王室御用達のお墨付きをいただいたという栄えある誉れです。しかし経営困難はいつの世も起こりうる一大事。スポード窯とて他人ごとではありませんでした。高度な技術力&技術者のみでは、経営は行き詰ります。そこで1833年ロンドン市長の職務をつとめたとも言われる実業家のウィリアム・コープランドともうひとりのビジネスパートナー、トーマス・ギャレットが買い取ることによって、存続の危機とまで落ち込んだスポード窯を立て直していきます。また、それだけジョサイア・スポードの残した技術が優れていたからとも言えますが、会社を乗っ取る?などという買収策とは違い、良い技術力に対して貢献する意味のある投資だったと思われます。その間に作られた陶磁器をみかけますと、窯名がコープランド・スポードという説明を受けることがあり「なんだろう?その窯は?」という疑問が解決されました。

さらに1970年、もともと窯名の由来となったSpode Ltd.に社名変更されます。創設者の意思を汲み入れた計らいなのか?そこははっきりしませんが、職人魂の団結力にもなったことでしょう。さらに現代はロイヤルウースターの傘下となり、ブランド名こそはスポードとして製品販売されておりますが、経営はRoyal Wocester Spode Ltd.となり、イギリスの代表的な陶磁器文化の礎となっています。

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No.011 ジャポニズムブームのペーパーナイフ

1860年頃〜ヴィクトリアの後期1900年頃にかけて、特に1870年代は日本製の物がどんな物?と言っても大げさではないほどもてはやされた時期でした。ヨーロッパはもちろんイギリスにおいても、一種の日本ブームが巻き起こっていた時期です。当時の日本は?と言いますと幕末から明治への、国民の文化意識から武士・商人という階層までもが、変革の波に揉まれるという時代でした。しかもヨーロッパの諸国にすると、まったく価値観や文化意識の違う国が作り出す芸術は、今までのヨーロッパでは想像を超えるほどの驚くべきフレッシュな感動だったに違いありません。

その日本人の感性とはどんなものだったのでしょう・・・、しばらく考え込まなければ出てこないくらい、現代の日本人の方が欧米化しておりますが・・・当時の文化を思い起こしていますと、浮世絵から日本刀さらに根付けや着物・・・また建築物や漆器に残るナチュラルモチーフ、さらにサーキュラーモチーフと言われる家紋のよ うなデザイン、市松文様、ジェオメトリックフォームと言われたデザインなど、確かに私達が日常さり気なく見ている物の中に残っていると思います。しかも銀器の中でも日本的な装飾方法を発見する事があります。一本のペーパーナイフのブレードに飾られたモチーフには、くっきりとジャポニズムアーツが残されていました。しかも、現代の日本以上に豊かな日本的な風情を感じてしまいます。


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No.010 シュガーキャスター&コンディメントセット

1700年代の香辛料入れとは〜どんな種類があったのでしょう。この疑問は当時のWarwickCruetと呼ばれる器から始まります。その器に容れられる香辛料はどんなもの?かをあげてみますと、塩、胡椒、マスタードの3種類くらいはすぐに思い出されますが、まだまだ〜その他にガラスのボトルのような器が付いています。それはどんなものを容れるの?かを調べますと、オイルとヴィネガーの2種類の液体をそれぞれのガラスの器に容れ、さらにシュガーキャスターを一緒にクリュットという台座付きの持ち運び可能のバスケット?みたいなスタンドに納まっていました。

それは、その昔〜食卓用の香辛料入れという小ぶりな器が無かったことから、クィーンアン時代に食卓にも置く事が出来る香辛料入れが欲しい〜という要望により登場し始めましたが、持ち得る方がたと言えば・・・王族くらいの方がたであったでしょうし、その頃の一般庶民にとってはテーブルの上にお塩入れがあることすら〜別世界のことだったでしょう。

さらに時代とともに、香辛料の変革とも言えることが起こります。 それはマスタードです。私達が普段何気なく使っている練り状のからし、当時はドライマスタードという乾燥したカラシを振り掛けるものでした。そのドライマスタードが1760年頃に、練り練りの状態になったものを使う習慣となり、そこで器もパラパラと胡椒のようにふり掛ける小さな穴の細工の器が不要となって参ります。さらに乾燥を防ぐ蓋付きの現在のようなマスタードポットという形に変化していきました。

このクルエットと呼ばれた卓上用の香辛料フルセットも、香辛料の変化に応じながら一つ減り一つ減りながら、食卓用として用いられたクルエットとしての香辛料の器全てをまとめて用いる必要性が無くなっていきます。さらに呼び名もコンディメントセットという塩入れ&胡椒入れのみを組み合わた必要最小限の香辛料セットが普及することになり、さらには蓋付きのマスタードポットを合わせたコンパクトなセットをペアにされて注文〜する方が多くなりました。

そこで困ったのがシュガーキャスターです。当時は塊となったお砂糖が流通するなか、細かく粉砕させたお砂糖をキャスターシュガーと呼び、その器もシュガーキャスターとしてクルエットの中に含まれておりましたが、ずっと一緒に食卓を飾る香辛料達の姿が変わることにより、シュガーキャスターのみぽつんと取り残されてしまいます。しかもシフタースプーンのデビューにより、ますます存在価値を揺るがす?時代となり、現在ではアンティークの銀器の中で出会うくらい・・・となりました。器は目的に応じて作られ、愛用された存在です。しかし、私達の日常には想像することも出来ない?目的に応じオーダーされたアンティークの銀器は、当時の持ち主にとっては無くてはならない必需品であった器もたくさ〜んあったことでしょう。

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No.009 フルーツサーヴィング・セット 

1851年ロンドンにて万国博覧会が開かれた時、会場に建設されたクリスタルパレス(水晶宮)は近代建築の初期を飾る最も代表的な鉄骨構造の建物です。サイズをお披露目しますと長さ552m、幅122m、ドームの頂上高さが41mで、部材は鉄とガラスで作られ、当時としては常識を破る画期的なものでした。広々とした明るさ、装飾を極力省いた斬新な美しさは当時もきっとピカイチ?だったことでしょう。しかし残念なことに博覧会の後、ロンドン郊外に移転され1936年に焼失しています。模型をご覧になられたい方はV&Aミュージアムに残されていますので参考にご覧下さい。

そこで、どのように「フルーツサーヴィングセット」と関わりがあるかと申しますと、前代未聞のクリスタルパレスの建築により貴族の間では、御邸にも太陽の光を燦燦と射し込むことが出来る小さめ?クリスタルパレスを持ちたい・・・その思いがコンサバトリーの流行となります。現在のイギリスの家屋に設けられているコンサバトリーのサイズをもっともっと広くしたサイズですから、それは温室そのものです。さらにその中で植物を育て、世界各地の植物収集へと関心が持たれます。もちろん植物のみに限らず南国の果物をいつでも口に出来る至福の贅沢を手に入れる訳です。

そして、専用のカトラリーをオーダーされたのが、こちらのフルーツサーヴィングナイフ&フォークと一緒に葡萄の房をプチッともぎ取るグレープシザーズというわけです。当時としては普段は手に入らない南国の果物への憧れは、想像もつかない特別の事であったと思います。その証拠にティーポットのボディ飾りに見られるフルーツをたくさん盛り付けたバスケットがモチーフに使われたりデザート用のカトラリーのナイフブレードに、パイナップルや椰子の木などを丁寧にエングレーヴィングされているものを見かけます。今では年中口に出来るフルーツですが・・・当時は夢のような出来事だったのでしょう。

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No.008 バンブーハンドル・ティーセット

バンブーハンドルのティーサービスセット、ハンドルに竹を巻いたのは熱伝導率の高いシルバーをいかに持ちやすく出来るか?と考えられたアイデアのひとつです。もちろん〜ティーポットのハンドルにシルバーを使っている場合でも上下のつなぎ目には必ず熱伝導を妨げる働きとしてしっかりと〜アイボリーがはさまっています。また、ウッドハンドルやハンドル自体を稀少なアイボリーで仕上げたティーポットなど、すでにカタログページにご紹介しているティーポットをご覧いただきましても、お分かりいただけますでしょう。

こちらのティーポットはシェフィールド1912年にWalker&Hallで作られたセットです。容量はたっぷり目とは違い、円盤型のティーカップ4杯くらいがベストのサイズですから、マイポットとして愛用されていたのかもしれません。ただ、チャイニーズティーがイギリスに伝わった頃のティーポットはこちらの容量をさらに小さくしたサイズのものが多いので、お茶の種類に合わせ、緑茶用にされていたのかも・・・しれません。日本人の私たちが想像する緑茶にお砂糖を入れて飲む?なんとも不思議な習慣に感じますが、当時の文献には真面目に紹介されております。それに欧米では、抹茶がスィーツにもブームを惹き起こしていますので、これは当時のイギリス人の方がもっともっと先見的な味覚?持っていたとも言えますでしょう。

さて、そこで話を本流へ、こちらのティーポットの脚にご注目下さい。リーフモチーフで仕上げられたとてもキュートなポットです。ミルク入れやシュガー入れの脚にも、同様にリーフモチーフを使われています。バンブーハンドルや蓋の摘み部分の菊花紋アイボリー細工などから想像し、西洋からの憧れであったチャイニーズティーをそのままティーポットのデザインに生かしたのではないでしょうか。

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No.007 ジョージアン・ティーポット

イギリスでシルバーのポットが作られた記録を辿ってみますと、1681年に作られたコーヒーポットが最初という記録が残されています。ちなみに、こちらのポットはロンドンのヴィクトリア・アルバート美術館に所蔵されていますので、機会がございましたらご覧になられて下さい。 また、英国の中でもロンドンで紅茶が販売されるようになった最初の記録は1657年です。この当時はお茶とともに中国から輸入した中国製の茶器を使っていましたので、シルバーはもちろんのこと、英国の陶磁器もまだ登場しておりませんでした。しかも英国で陶磁器が作られたのは1750年以降、マイセンでも1710年頃ですから、流通するようになったのは、それよりも後のことになります。

つまり1600年代のシルバーティーポットがほとんど残っていないのは、一般的に作られるような状態ではなく、持ち得た方がたも王侯貴族の特権階級のみでした。1700年頃から1750年頃にはバレットスタイルという、中国茶やお煎茶を淹れる急須のような形のシルバーのティーポットが作られます。製造方法は一枚の銀のシートから手打ちで打ち出していくのですが、こちらは容量も少なく、とても小さなポットらしき・・・ものでした。これがシルバーのティーポットとしてイギリスで最初に出回ります。それはお手本にした中国の陶磁器が、とても小さなサイズが多かったことから、真似た英国銀器のポットも同じような容量になったという訳です。さらに、お茶(当時は中国の緑茶※)が高価であったことも理由に上げられます。
※中国の緑茶は現在の日本の緑茶とは製法が異なり、日本的な蒸す方法ではなく炒ったものです。

そして、1770年頃から1790年代に入りますと、ドラムスタイルというティーポットが作られます。それは銀のシートをまるめてドラムを作ったことからそう呼ばれますが、そのシートを上部と底の部分に貼り付けました。さらに貼り付け部分を目立たなくする為に、つなぎ目にハンドルを取り付けています。注ぎ口のデザインは煙突のような真っ直ぐに延びた口のスタイルで、側面には何の装飾も施されない状態でした。もちろん蓋の細工も一枚のツルッとした面で仕上げられています。

その後、へスター・ベイトマンの出現により側面にはブライトカットの装飾が施され、側面の上下にはビーズ細工による接合が施されるなど、どんどん英国の銀職人さんの腕も〜上がってきます。さらに、この頃からティーポットの接合技術がめきめきと進化し、ポットのモレ等によるトラブルも少なくなってきました。その後、改良を重ねながら蓋の上部に膨らみを加えたもの、側面を面取りしたものなど、除々に銀細工が高度になっていきます。

画像の左側のティーポットは、何の飾りも施せなかったドラムスタイルから、ようやくブライトカットを加えられるようになった1784年CharlesHoughamです。そして真ん中のティーポットはヴィクトリア期に入ってから、ジョージアンに思いを馳せてオーダーされた1866年HenryHollandと、右側のティーサービスセット1877年JBEBです。初期のティーポットは素朴に見えるかもしれませんが、英国人にとって心をゆさぶられるデザインだったのでしょう。

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No.006 イングリッシュ・ブレックファースト〜ブレッドバスケット

トーストラックのみに限らず、イングリッシュ・ブレックファーストに登場する銀器として、「ブレッド・バスケット」がございます。こちらは暖かいブレッドを冷めないように真っ白いリネンに包み込み、テーブルの上に置きます。形はオーバル型が主流でおおかた舟形の底で深みのある器です。
マナーハウスでの朝食では、トーストも色いろなブレッドも全てブレッドバスケットにリネンで包まれ、お部屋に運ばれてきます。
そこにはトースラックは登場せず、あくまでもブレッドバスケットの中に全てのブレッドがおさまっています。
※オーダーする時に、あらかじめ食べたいブレッドを選びますので、数種類のブレッドがモリモリです。それはキッチンから運ばれるうちに、冷たくならないように、また暖かいパンを召し上がっていただく事を目的にブレッドバスケットが考えられたのでしょう。

さらに一枚のトーストをナプキンに包み、ブレッドディッシュにのせて〜というサービスもあります。(あまりお腹の空いていない時のみですが・・・)
どちらにせよ、常に保温を考え冷めないように、ほかほかのブレッドを召し上がる心遣いです。私達も休日の朝など、ゆっくり色いろなブレッドを盛り付けたい、と言う場合はバスケットが一番重宝な器となり、テーブルの上もとっても華やかな雰囲気に仕上がります。

しかし、この「ブレッド・バスケット」英国で見かけるデザインは、実は普通?の形が多いです。舟形の側面もシンプル、味気ないわ〜と感じることも多いくらい、実に合理的な形ばかりです。特にジョージアンらしい雰囲気は銀器の質感が一番で華やかな細工は二の次、実に気品あるブレッドバスケットです。
時代もヴィクトリアンらしさが加わりますと、縁取りの花模様からピアッシンなど、何となく華やぐ雰囲気が多くなります。と申しましても、実際はピアッシングのタイプよりも、せいぜい縁どりに飾りを付けたデザインの方が断然多いです。やはり、質実剛健の英国人、もっとも好みに合うブレックファーストの器が必要とされたのでしょう。
※ピアッシングばかりをリクエストしていますと、いつも日本人はファンシーな物を好むね・・・と言われますが・・・。

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No.005 イングリッシュ・ブレックファースト〜トーストラック 
英国での朝食を一番の目的に旅する〜そんな楽しい旅もおすすめです。 最近はおしゃれなグルメ☆ロンドンになってきていますので、伝統的なイングリッシュ・ブレックファーストをいただくためには、ロンドンのホテルよりも郊外のマナーハウスに長期滞在しながら、ゆっくり味わってみるのも素敵です。そこまで、すすめる理由は?と不思議に思われるかもしれませんが、実はイングリッシュ・ブレックファーストにもフルコースとメニュー少な目の軽めのコースがあります。それは目覚めた時の空腹状況に応じて一品一品加えられるほど・・・豊富な品数です。

そして、英国と言えばカリカリトースト。食パンを薄く切り(薄くスライスされた状態で売られています)、オーブンで焼き目を付けテーブルにセッティングします。その時、トーストを一枚一枚立てながらテーブルの上に置く器として考えられたのが「トーストラック」。銀器で作られたサイズも色いろなタイプを見かけますが、時代が古いほど「大きな形」で何枚ものトーストを立てられるデザインを多く見かけます。特にトーストラックの初期の頃のスタイルとして、バネを応用したデザインなどもあります。
また、ヴィクトリアン時代のトーストラックには、アコーディオンのような仕組みでコンパクトな状態から引き伸ばして使うトーストラックもあり、時代ごとの面白いデザインを見つけられます。さらに1900年以降になりますと、小型でシンプル&実用的なデザインが多いようです。そして台座が付いているタイプと付いていないタイプは時代に関係無く両方見られます。

英国の朝食はトーストが主流。そして、ブレッドの種類は?と言うと、お好みで正方形(もしくは半分の三角形)に薄くスライスしている食パンから胚芽パンなど。さらにロンドンでは、最近増えてきたフランスのパン屋さんで、カンパーニュさえも薄くスライスするように〜とオーダーしている方を見かけます。やはりトーストラックの幅が一番の気になるポイントですが、余裕のあるトーストラックの幅ですと意外にも〜日本の食パンも対応できますので、どうぞイングリッシュ・ブレックファーストセッティングを楽しまれて下さい。
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No.004. 英国カーネリアン・デザートカトラリー
テーブルマナーという食事の作法が確立するようになった頃から、ようやく一人一人用のカトラリーがあらかじめ テーブルに用意されるようになります。 それでは、その前は??と、このルーツを探り始めると、とても面白い歴史発見があります。 また、それは欧米の食文化を紐解くことから始まりますが、人を招いての正餐会を開催する習慣が始まった頃、 特権階級の方がたのお食事会は、その会場にご自分のカトラリーを持参したものと言われます。 しかも、フランス式サービスという現在のテーブルマナーとは違ったお食事方法でした。後に一般的な食事方法となる ロシア式サービス、つまり現代の会食方法に近いマナーへと変わってきますが、どちらにせよ階級の高い方がたの側には、 執事が待機しプレートの上にお料理をよそおいます。 しかもご主人様のカトラリーセットを拝借しながらお料理を切り分けたという記録がありますので、最初はまだまだ〜 サーヴィング用のカトラリーなども登場しなかったのでしょう。

さらに、稀少なテーブル・カトラリーの中でも、とても美しい意匠性の高いデザートカトラリーがあります。 それは当時、別室にてデザートを頂く習慣から、テーブルカトラリーとのデザインの統一性を求めず、特に「珍しい素材 など」をハンドルに用い作られたようです。 そのハンドルに使われた素材に、輝石・木・象牙またヴィクトリア期になってからはマザーオブパールが多く出回ってきます。 特に時代の古いカトラリーに多い素材は輝石、しかも色合いの面でも美しいカルセドニーを多く見かけます。 メノウ・縞メノウ・アゲート・オニキス・翡翠など、さらにナポレオンに好まれたとされるカーネリアンはパワーストーンとして 有名です。

それは活力を与える鉱石とされ、古くから彫刻や置物、またナポレオンも作られたそうですが印章の素材としても用いら れました。現代ではお目にかかれなくなった輝石を用いたデザートカトラリー、それはオーダーする事が出来る階級、 さらに稀少な素材を使える事が出来る階層がかなり限られた時代であったからでしょう。
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No.003. 英国紅茶とティーケトル
 ティーサービスの中で一番必要な物はティーポット、さらにその次に用意されたい物は??と申しますと ティーケトルがあります。 現代の生活ではお湯を沸かすなんて、IHでもガスレンジでも簡単に沸かすことが出来ますが、当時は キッチンでお湯を沸かし、客間へ運ぶまで長い廊下を通っていく間に、せっかくの熱々のお湯が冷めてしまう ということだったのでしょう。 そこで三脚の上に置き、下にはアルコールランプをセットすることで、常に熱々のお湯が側にある状態を 保った訳です。

このティーケトルのルーツは??と言うと、1700年頃にすでに登場しています。 しかしその数はとても少なく、フルセットで見かけるスタイルはティーケトルの下のオイルスタンド用にトライ アングルサイズのサルヴァを一緒にあてがわれたセットでした。 またケトル専用のテーブルが作られ、サロン内での紅茶をサービスする間は弱い火力にて温度を保っていました。 その後、ティーケトルの習慣が根付くかに思えたのですが、ティー・アーンという浸出した熱い紅茶を 入れる装飾の凝った大きな容器が登場します。前側に蛇口があり、その蛇口から直接ティーポットにそそげる ようになっていました。

サロンにて華やかに演出されるヴィクトリア期のティーセレモニーでは、ティーアーンとティーケトルのどちらかの 容器が使われるようになっていきます。 もう一点、ケトルとオイルスタンドを繋ぐ鎖も、当初作られたティーケトルにはスタンドと上のケトルを重ねたり そのままスタンドに置かれたタイプが多く、ヴィクトリア期になって鎖でスタンドを固定するスタイルが見られる ようになります。また、鎖部分も全部を外さず、お湯を傾ける方をそのまま固定させながら使用しました。 これも、熱いお湯がこぼれないようにという配慮からだったのかもしれません。
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No.002. 英国紅茶とマナーハウス
英国を旅する楽しみのひとつに、どうぞ英国貴族の館に宿泊されるプランは是非&是非スケジュールを組んで 頂きたい〜オススメコースです。この英国貴族の館がなぜホテル??またその建物はどうして・・・あるの???? それは、英国貴族の歴史からお話しなければならないでしょう。 公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵この階級が作られたのは11世紀、ノルマン人がイングランドを征服した時に 封建制度を持ち込んだことからはじまったと言われます。 戦いの報償として領地が与えられ、その土地の収益を王様に納めていました。その収入は?というと もちろん農業です。また王様から褒め称えられる証として、一世代限りの称号ナイトと言われる階級もありましたが、 こちらは代々世襲制の貴族とは区別された階級でした。 その後、産業革命により中産階級という階層が増え、それにより冨と名誉を持ちたいがために、権力闘争などなど 貴族の館にも、代々受け継がれてきた華やかな物語とともに色いろ・・・秘められているようです。 さらに戦争という動乱の時代を経て、以前のような大きな館を維持出来なくなった貴族の館は ナショナルトラストへ寄付されたり、歴史ある建物をホテル経営という形で保存活用している館なども多く、 さらには、今なお貴族が守り続けている館もあります。 それが、マナーハウスなのです。

もちろん、すべてが宿泊可能ということではありませんので、観光名所のみという館も多いですが、英国の至る処に 存在するマナーハウス、例え場所がロンドン郊外に存在するからと言ってカントリーハウス=田舎の家ではありません。 それぞれの領地を治めた貴族の館なのです。つまり一国一城の権威ある方がたのご自宅です。 そこで、このマナーハウスこそが英国紅茶との関係に深いつながりをもたらす訳です。 ロンドンでは体験できない貴族の館に宿泊し、そこで至福のティータイムを過ごせる、にわか貴族になった気分で 当時の紅茶文化を体験出来るわけです。 だからこそ、ビジネスマンの忙しく歩きまわる都会では〜優雅な紅茶文化を味わえる場所が少ないと申し上げたいの です。
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No.001. 英国のティーハウス
英国の嗜好飲料「英国紅茶」をロンドン市内のお茶の出来る場所で気軽に頂けるものか・・・と思い、 あちこち探しまわってみたことがあります。 ところが至るところ「世界中に出回っているコーヒーチェーン店」ばかりで、ようやく地下鉄の入り口付近 にあるスタンドバーの“飲み物メニュー”の中に「紅茶」を発見。 それではと、紅茶をオーダーすると大きなマグカップにティーパックをポンと入れ、マシーンの熱いお湯を ジューーっと注ぎ淹れるだけなのです。 しかも最近は防水加工された紙のカップが定番〜。 紅茶の茶葉を淹れたポットサービスをオーダー出来るのはホテルやレストランでのお食事後に飲み物の オーダーを紅茶にした時のみで、一体どこでゆっくり紅茶を頂けるのかしら〜と謎でした。 知り合いのイギリス人に聞くと、「マナーハウスや家で飲むもの」と言われるではありませんか・・・ 「成る程マナーハウスね。」さてさて、そのマナーハウスとは何処にあるのかしら?? もしかして〜ロンドン郊外に豪華な貴族のお邸をホテルとして営業されている・・・あのマナーハウスのこと。 それでは、ロンドン市内には存在しない訳ですか?・・・ただただ紅茶を飲みたいだけなのに。 そこで、謎々を解き明かす「ティーハウス」を調べてみました。

英国での紅茶文化が広まったとは言え、最初にティーハウス「ザ・ゴールデン・ライオンズ」がトマス・トワイニング によって開設されたのは1717年のことでした。 ちなみに、最初にコーヒーハウスが誕生したのは厳格な清教徒主義を掲げたクロムウエルの共和制の始まる前、 1652年と言われています。 このコーヒーハウスとティーハウスの共通点はアルコールに依存しない「酔い」であり、その覚めた陶酔感覚、 さらに近代社会の基本論理に基づく個々それぞれに認められた権利として、民主主義社会の成熟に役立つ ことになります。 しかしコーヒーハウスに集まるのは男性で、しかも当時の金融から政治にいたる最新情報源の溜まり場となって いました。女性からみると、それはもっとも怪しい集まりの場に思え、また男性のみが家庭以外に自由な 空間を持てることに対し、憧れのように思い始めます。 そこでようやく紅茶販売とともにティーハウスという女性専用の部屋が確保されていくことになるのですが・・・・・。ティーハウスはコーヒーハウスの繁盛にはおよばず、なんとパブの片隅に追いやられて小売販売されるという まだまだ紅茶は高価&少数の購入出来る男性が家に持ち帰るような特別な飲み物でした。 もちろん☆女性は男性が持ち帰る紅茶を、家のなかで自己流に好きなようにいただく方法を色いろ考えていきます。

そして、時代の流れのなか1733年「ボストン・ティーパーティ事件」が起こります。 アメリカの独立にもつながった事件ですが、それが特権階級の象徴であった紅茶にも変化を起こします。 つまり、さまざまな条件により、紅茶の大衆化の動きが見られてくるのです。 さらに19世紀に入ると一般大衆に安くより多く消費させる方が得策という判断が定着していき、どんどん紅茶の 消費が増えていきます。しかし中国からの輸入増加もアヘン戦争により茶葉交易が半減。 そこで、どんどん増え続ける紅茶の需要に応えるため品種改良に努めながら、インドのアッサム地方・セイロン へと産地を開拓していきます。 その後、19世紀後半になると、まだまだ高価な嗜好品ではありますが、紅茶が英国中で飲まれるようになります。 しかも、紅茶の袋売りやトマス・リプトンの産地直送販売などにより、紅茶の販売拡大へともたらされました。 ところで、コーヒーハウスの流れはと言いますと、男性の偏った趣向により貴族化したクラブへと流れがかわります。 では紅茶はと言いますと、なんと女性の趣向において家庭を中心にしながら楽しむ飲み物へとなっていきます。 それは、コーヒーを焙煎する面倒な作業に比べ、お湯を注ぐだけで頂ける紅茶は、家庭の中で女性が サービスをしてくれる語らいの時間が男性も楽しく、また紅茶に関るティーカップから諸々の紅茶の道具を揃える ことで、女性の好みを反映したそれぞれの階級や家庭での楽しみ方が主流となっていきます。 つまり、それまで貴族や宮廷でのたしなみであったものが、中産階級にとっての新しい習慣を位置づける結果と なったわけです。 そのため、今もなお現在の英国内において「紅茶は家で寛ぐ飲みもの」なのでしょう。 もちろん、ロンドン市内もしくは郊外にてティーハウスを見かけますが・・・・数はとても少ないです。
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